学びの車窓から

小学校教員です。日々の実践、考えたことをつらつらと。

発表=意欲?

 

成績づけシーズンとなってきました。

 

毎回評価の項目が挙げられる度に、どの教科にも「発表」が意欲の観点として入っているのが気になってしまいます。

 

 

発表することって意欲なんだろうか。

 

このことを考え始めたのは、教師になることを真剣に考え始めた大学3年の時です。

僕は小学校5年生のときの担任の先生に憧れたことが教師を志すきっかけでした。

 

その先生は、発表ファイルを作り、一人ひとりに渡していました。

教科ごとに発表した回数を自分の好きなマークで記録していくというものです。

 

これが当時の自分にとってすごく合っていました。

「マークを増やしたい!」

「先生から褒められたい!」

その一心でどの教科でも元気よく手を挙げて発表していました。

自分で言うのもなんですが、担任からすれば、クラスに1人いると助かるような明るいタイプだったと思います。

 

しかし、教師になるということを決め、当時の自分を振り返ったときに、

「あれは本当に学ぶことに対する意欲だったのだろうか。」

と考えるようになりました。

 

 

学ぶことに対する意欲というよりも、

「誰よりも多くマークを集めたい!そして先生から認められたい!」

そんな気持ちの方が強かったように思います。(大人になった自分の偏見的な考えが含まれているかもしれませんが。)

発表をたくさんしていたからといって、その教科に対するもっと知りたい、学びたいという意欲があったとはあまり考えられませんでした。

 

何より、教師になった今分かるのは、発表の回数が記録として残るのは、成績づけのとき便利!笑

という教師側の都合もあったのかもしれません。

 

 

もちろんその先生にはたくさん感謝するところがあるし、この考えは、一般化のワナかもしれません。

 

 

しかし、発表=意欲と考えていいのか疑問が残ります。

 

手を上げない子は本当に何も考えていないのか。意欲がないと言えるのか。

そもそも主体的で対話的な学びが求められている今、一斉授業で手を挙げて発言するスタイルは主体的で対話的な学びだと言えるのか。

 

前提である授業のスタイルから考え直す必要がある。

 

意欲を評価するというのは、難しいことですが、他の評価の方法はないものか・・・

 

 

そんなことを考えていた学年会でした。