学びの車窓から

小学校教員です。日々の実践、考えたことをつらつらと。

感謝が足りていなかったかもしれない。

 

三連休も終わってしまいますね・・・。

 

この三連休は色々な本をちょこちょこと読みながらリフレッシュにあてていました。

 

そこで気づいたこと。

自分は子どもたちに感謝の気持ちが足りてなかったのかもしれないということです。

 

日頃『学び合い』をしている中で、子どもたちに理想を求めます。

 

もっと「分かる」を追求しようよ。

みんなが分かるようにしようよ。

仲良しのグループを超えていこうよ。

誰とでも関われるようにしようよ。

 

色々なパターンで語ります。

学生時代に多様な教育の現場を見てきて、信頼関係や学びへの意欲が基盤にあるゆるやかな協働性が培われた場を実際に感じたからこそ、今の自分の教室の雰囲気との差を感じ、子どもたちを責め立てるようなことを言ってしまっていたのかもしれません。

 

だけど、こんなことを語る一方で、みんなが分かるようにするために行動してくれている子もいるんですよね。

 

僕がいくら関わってもノートをほとんど書けない子が、友達と関わることで最後の問題まで解くことができている。

普段ぼーとしているように見える子ができていない子に、「分かる?」と聞いて回っている。

男女の垣根を超えて、最初からいっしょにやろうと言えている子もいる。

 

僕1人じゃできないことを子どもたちはやっていたんですよね。

 

いつのまにかそれを当たり前のように感じ、もっと高い理想をただ押し付けていただけなのかもしれません。

その理想があるがゆえに、

仲良しグループで固まっている。

課題が終わって遊ぶ子がいる。

全員達成しない。

という負の側面に目がいき、ついつい指摘ばかりしてしまっていました。

 

もっともっと良いことアンテナの感度を磨かないといけないですね。

 

3学期も残りわずかですが、子どもたちに感謝の気持ちを伝えていけるようにしたいと思います。