学びの車窓から

小学校教員です。日々の実践、考えたことをつらつらと。

学力向上=文具の規定?

今日は怒涛の会議の連続。

 

様々な部会からの提案が相次いでありました。

 

そもそもこの会議のあり方から何とかならないものかと思いながら、聞いていました。

寝ている人もいる中、ひたすら文章に書いてあることの確認。

どこの学校でも4月当初はこんな感じなのかなと思いながら聞いていました。

 

その中で、学力向上の提案として、

えんぴつは〜本

赤鉛筆は1本

ボールペンは5・6年からOK。ただしキャップがあるもののみ。

 

のような提案がされました。

 

あ〜どこの学校でも提案されるような事柄なんだろうな〜と思いながら、そもそもそれは何のため?

という疑問が自分の中でついて回りました。

 

文具の数や種類を規定することが子どもの学力向上につながるのかなと。

 

じゃあ何のためにあるのかと考えると、僕の中では、教師の管理のしやすさ・一斉授業を進める上での障壁の排除という結論に至ります。

 

3色ボールペンをもってきて、かちかちして遊び出すと話を聞かなくなるから。

赤・青以外の色ペンを持ってくると、ノート指導がしにくいから。

次の学年に進級した際に、前年度の担任とルールが異なると子どもに反感をかうから。

などなど・・・

 

子どもたちの学びやすさよりも、教師の管理のしやすさと一斉授業の進めやすさが重視されているようで仕方ないのです。

 

僕の小学校のときは、持ってくる色ペンの規定というものはなかったように思います。

(低・中学年はあったかもしれませんが・・・)

個人的に、いろんな色を使って、自分なりにノートをまとめるのが好きで、自分なりの工夫をしながらノートをまとめていました。

今は、色をあまり使わず、三色ぐらいを使うことが自分の中で定番になっていますが、あの自分なりのルールでノートをまとめることがたのしかったということはぼんやりと覚えているのです。

 

自分で使う色を決める、自分なりの決まりを作ってノートをまとめる。

これは僕が学びに対して意欲的に向かう1つの手段でした。

 

もちろん、これは僕の経験が絶対のものように語る、「一般化のワナ」に陥っているのかもしれません。

 

しかし、主体的・対話的で深い学びを目指している現在の学校教育が使う文具すら規定し、管理している現状は果たしていいのだろうか?

 

そんなことを考えた会議でした。

 

こんな風に思ったことを会議の中で、意見として言えばいいのでしょうが、中々言うことができないのも自分の欠点。

 

他にも言いたいことはたくさんあるけど、言い出したらめんどくさいやつと思われかねません。

ただ、誰かが「それってそもそも何のためにやるの?」

「こんな方法や事例もありますよ?」

というようなことを発信していかないと学校の中の当たり前の文化って変わらないのだろうなと思います。

 

結局、学校って「何を言うか」よりも「誰が言うか」ということの占めるウェイトが大きい。

だからこそまずは、自分の学級経営や授業、校務分掌の仕事のこなし具合で語ることのできる人になりたい。

 

そんなことを思う今日この頃です。