個別最適化の教育を読んで
昨日届いた西川先生の新刊を読み終わりました。
【Society5.0の社会をどう捉えるか】
まず、この本のタイトルにもなっている個別最適化の教育。
Society 5.0 に向けた人材育成 ~ 社会が変わる、学びが変わる ~http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/06/06/1405844_002.pdf
Society5.0の教育の目玉のひとつとして取り上げられています。
Society5.0のイメージとしては、動画の方がつかみやすいです。
去年の6年生にこの動画を見せたらものすごくワクワクしていたな〜。
第一章を読みながら考えたのは、このSociety5.0の社会についてのイメージとビジョンを教師がもっておくことが大切だなと感じました。
この社会に向けて、今世の中はどのような流れがあるのか。その動向を把握して、教室という社会の中でできることは何なのか。
そのことを考えさせられる第一章。
個別最適化というキーワードに心踊った教育関係者の方も多いと思いますが、西川先生は、「全く」期待していないとばっさり言っています。笑
なぜなら、日本の教育改革は持続的イノベーションに陥ってしまっているから。
持続的イノベーションとは、現在の顧客の求めるものの性能を高めるイノベーションのことです。
西川先生は文部科学省が「個別最適化」という言葉を使うとき、「公正に個別最適化された学び」という言葉を使うことから以下のように指摘しています。
「公正に個別最適化された学び」とは、基礎的読解力、数学的思考力などの基礎的な学力や情報活用能力を全ての児童生徒に習得させる学びであり、具体的には教科書の内容の確実な習得なのです。
つまり、公正であるか否かを判断しているのは子どもではないのです。そして基礎的・基本的な学力などは幻想なのですから際限なく拡大し、子ども自身が公正だと判断する個別最適化された学びの入り込む余地はありません。 P.25-26
Society5.0という社会にあった学びに取り組もうと考えているはずのなのに、結局は従来の詰め込み教育の名残があるものとなってしまっているのではないかと考えさせらます。
【個別最適化の教育=『学び合い』?】
さて、第一章で社会的な様々な背景を紹介した後に個別最適化された教育として提示されるのが、『学び合い』です。
ただ、ここは自分の中で完全には腑に落ちていないところ。
『学び合い』は本書の中でも述べられているように、学び方の個別最適化の手法の一つだと思います。
しかし、学ぶ内容の個別最適化の教育か?と問われると自分の中では首を傾げるところです。
多くの『学び合い』の実践者は
「〇〇が全員説明できる。」というような一律の課題を全員達成することを求めます。
そのためならば、学習の方法は多様であっていいという考え方です。
しかい、この『学び合い』の段階から、単元内自由進度や学習目標を個々人が設定する段階の『学び合い』に到達するまでには、かなりの差があるように感じます。
(自分も実践する中で、難しさを感じた部分です。)
この差は子ども集団の成長や、教師の子ども一人ひとりの見取りが何よりも欠かせません。
とは言え『学び方』は考え方であり、『学び合い』の3つの観は個別最適化の教育を考える上でも根底にあるべきものだと思います。
そういったことから、さらに他の視点で個別最適化の教育を考えるのであれば、
ようこそ,一人ひとりをいかす教室へ: 「違い」を力に変える学び方・教え方
- 作者: キャロル・アントムリンソン,Carol Ann Tomlinson,山崎敬人,山元隆春,吉田新一郎
- 出版社/メーカー: 北大路書房
- 発売日: 2017/03/17
- メディア: 単行本
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「学びの責任」は誰にあるのか: 「責任の移行モデル」で授業が変わる
- 作者: ダグラスフィッシャー,ナンシーフレイ,Douglas B. Fisher,Nancy E. Frey,吉田新一郎
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2017/11/17
- メディア: 単行本
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これらの本を読み直して、もう一度自分の中で吟味したいところ。
単純に『学び合い』実践者としての自分の実践力不足もありますが・・・。
【とはいえ、一斉授業よりはまし】
本書を読んでみて、全体的に今の文部科学省などの流れから西川先生が『学び合い』を広めるためにかなり戦略的に書かれた本だなと印象を受けました。
個別最適化の教育=『学び合い』と自分の中ではまだ結びつけることができない面もありますが、
(学習者の多様性を度外視した)一斉授業よりはマシ
だなと改めて思いました。
『学び合い』は算数でずっと取り組んできていましたが、今年は専科の兼ね合いで実践することが難しくなり、少し遠ざかっていましたが、改めて勉強し直してみようと思います。
そして、理論をしっかりと学ぶこと。
どんな教育方法に取り組むにしても、なぜそれを取り組むのかしっかりと自分の中で考えを持っておくことがやはり重要ですね。
ぼちぼち再開しようと思ったわけ
昨日の続きです。
クローズドな場での振り返りが定着したこともあり、ブログから離れていました。
そんな中でどうしてまた、ブログに手を出そうと思ったのか。
ひとつのきっかけは時間ができたからです。
実は今とある事情で現場から離れています。
1日でも早く戻りたいと思う日々ですが、多忙な毎日から想像もできないようなゆとりが生まれました。
この期間に何かしたい。
と思ったのが再開した理由のひとつ。
そして、1番の理由は有り体ではありますが、アウトプットの手段を増やしたかったということ。
継続的に取り組めているクローズドな場での振り返りですが、取り組んでいる中で課題意識が生まれていました。
それは、理解してもらえるだろうと前提のもとに振り返りを書いていることです。
他者に見てもらうとはいえ、気心の知れた2人。
なんとなくお互いに共有しているものがあり、ここは言わなくても言いたいことは分かるよね?
というスタンスで、本当はもっと考えて言語化しないといけないことをボヤかしてしまっているような気がしたのです。
この図で考えるのであれば、自分のコンフォートゾーンに止まっている状態。
自分にとって心地よいぬるま湯に浸っている状態です。
この話、よく子どもたちにするにも関わらず、自分自身がぬるま湯浸り状態だったと反省・・・。
まぁそのことを自覚して、振り返りの質を高めればいいのでは?
ということではあるのですが、改善として、
自分が承認されうる集団に向けてのみではなく、社会からも承認され得るかどうか(コンテンツとして価値があるかどうかとも言える)を前提としてアウトプットをすることが自己の成長につながるのではないかと思ったのです。
つまり、コンフォートゾーンからラーニングゾーンに飛び出すこと。
考えてみれば、ごくごく当たり前のことですが意識するとしないで発信するのには大きな違いがあると思います。
まぁせっかく再開するのであれば、文章力のスキルアップも含めて、自分の思考をしっかりと言語化して残していきたいですね。
とは言っても、まずはクローズドな場での振り返りの質を高めること。
そこをベースに共有したいと思ったことをブログ等で発信するというスタンスにしようかなと考えています。
あとは読んだ本についての整理。
最近は1日2〜3冊ペースで読んでいるので、インプット過多です。
吐き出さなくては。
振り返りの方は毎日書くので、ブログは毎日更新!と意気込むのではなく、肩の力を抜いてやっていこうかなと思っているので、とりあえず週に2、3回更新をまずは目標に頑張ります。
ブログから離れて
ここ最近、色々なことがあり、久しぶりにブログを書いてみようと思います。
まずは長らくブログから離れていた理由を整理。
そして、なぜ今またブログを書こうと思ったのかをまとめてみようかなと思います。
【理由その①:多忙化】
なんだかんだ1番はこれですよね。笑
今年度は初の3年生。今までは高学年担当でした。
「高学年の方がいそがしいじゃん!?」
と言われたらそれもそうなのかもしれませんが、1番の大きな違いは
専科の時間がないこと
これに尽きます。
昨年度は理科と外国語の2つの教科で専科があるというとても恵まれた体制でした。
当たり前ですが専科の時間があれば、空いた時間が生まれるのでその分を色々な仕事に費やすことができます。
今年度はその時間がない。
字数が少ないからその分の空きがあるのでは?と考えてみると、クラブや委員会、そして放課後に空き時間が生まれるという状態はその分横入りタスクや学年会議などに費やされることが多くなります。
これが自分自身の多忙感に拍車をかけていたのだろうと今になっては思います。
【理由その②:実践と発信の乖離】
大して多くの方に見ていただいてもらっているブログでもありませんが、発信するとなると、
よく見られたい、すごいと思われたいという自己顕示欲がはたらきます。
元々、僕は承認欲求が高いと自負しているので、尚更です。
自分がやっている実践のうまくいっている側面にはスポットを当てて、見たくない影の部分はそのままにしている。
そんなもやもやとした感覚がありました。
脚色をつけた実践が一人歩きすると、リアルの教室での自分との自己矛盾を引き起こします。
輝かしいことを言っているのに、教室ではできていない自分・・・
あぁどうしてこうなってしまうんだろうと自分を責める。
自分で自分の首を締めてしまっているのではないかと感じ始めると、ブログから遠ざかっていきました。
【理由その③:クローズドな振り返りへの移行】
そんな風に思いながらも、自身の成長のために振り返りやアウトプットは継続していく必要性を感じていました。
そこで、2学期は大学の頃、同じゼミだった気心の知れた仲間に
「振り返りを共有しないか?」
ということを提案し、僕を含めた3人での振り返りの共有をスタートしました。
3人で振り返りを共有するにあたり、決めたルールが2つかあります。
・毎日継続すること
・お互いの振り返りに対するフィードバックは自分に余裕があるときに無理なくすること
これだけです。
ただ、これがとてもよく機能していたなと思います。
お互いの振り返りを読み合い、気になったことがあればすぐにフィードバックがくるし、そのフィードバックをもとに、大学のころにゼミ室で繰り広げられていたような教育談義に発展していく。
お互いの振り返りやフィードバックに触発され、刺激を受ける場となっていました。
また、3人だけというクローズドな場での共有なので、自分を脚色することなくありのままに近い状態で振り返りを書くことができました。
気づけば2学期は毎日振り返りを書いているし、今では振り返りを書かないと何か気持ち悪いという状態にもなりました。笑
最初は理由①、②のような理由でブログから遠ざかっていましたが、今ブログを更新していなかったのは、理由③の要因が大きいです。
では、なぜ再びブログを更新しているのか。
それはまた改めてまとめようと思います。
原点回帰
昨日の深夜福岡へと戻り、今日は今から熊本へと向かいます。
大学のゼミメンバーと先生の集まりのためです。
僕にとって、定期的にゼミのメンバーと先生に会って話をするのは大切な原点回帰の機会です。
バカみたいなくだらない話から真面目な教育に関する話まで。
大学のときからそれぞれの関心に合わせて色々な対話を重ねてきた友人たちと話していると、自分の原点に立ち戻ることができます。
それぞれの現場の話を聞いて、刺激をもらうこともできる。
今思うと、ほんとに恵まれた環境で学ぶことができてました。
今日もどんな話ができるか楽しみです。
西脇KAIに参加してきました
今日は10連休の目玉イベント
西脇大放談KAIに参加してきました。
「明日から使えるネタ大放出!」というセミナーのタイトルのように、今までに行ったことのある岩瀬さんやKAIさんの対話中心のセミナーとは異なり、お三方のネタや実践を知り、体験することがメインでした。
しかし、後半の大放談会では雰囲気一変、
岩瀬さん、KAIさん、伊垣さんに加えて、フリーランスティーチャーの田中光夫先生も加わり、
「ぼくらはネタとどう付き合っていくか」
をテーマに参加者にリフレクションの問いを投げかけながら、対談が繰り広げられました。
その中で挙げられた問いの1つ、
手持ちのネタが増えればいい先生に近づくのか?
〜なぜぼくたちはネタを集めたくなるのか〜
対談の中でも語られていましたが、この問いの返答の1つに、教師自身の承認欲求があると思います。
おもしろい先生と思われたい、子どもからの人気を集めたい、ネタを広めて有名になりたい…などなど。
ネタが受ければ、子どもも笑顔になり人気も高まる。
しかし、それって岩瀬さんの言葉をお借りすると、子どもたちを餌を待つコイの状態にしてしまってるんですよね。
「先生、次はどんなことをしてくれるのかな〜?」
「次の先生は全然おもしろくない。」
「〇〇先生がよかった〜。」
というように、ある意味教師に依存させてしまうような状態にしてしまっているわけです。
かくいう僕自身も子どもからそんなこと言われたらちょっとほくそ笑んでしまうし、まだまだなんですが、僕がネタを集める理由の1つは自分自身が不安だからという理由もあります。
今のままではいけない。
何かを変えないといけない。
そんな思いから、いろんな本やセミナーで得たネタや実践をとりあえずやってみる。
しかし、少し時間が経つと子どもたちが飽きてしまったり、自分自身が続ける余裕がなかったりしてやらなくなってしまう。
正に岩瀬さんの言う
方法のパッチワーク化です。
いけないな〜と分かっていながらついつい陥ってしまう、方法のパッチワーク化…。
ただ、今日のセミナーに参加してそれらも無駄ではないのかな〜とも感じています。
何事もトライ&エラーを繰り返して、振り返りをし次につなげていくことで自分の教師としての力量を高めていく必要がある。
方法のパッチワークとかしていたネタや実践をもう一度見つめなおして、繋ぎ合わせることができればこれからにつながっていくのかなとも感じました。
(できればパッチワーク化は避けたいですが…。)
さて、最後にリフレクションの問いとして上がったのは、
教師として成長するのに大切なことって何だろう?
こういった問いのとき、必ず上がるのが理念か実践か問題。
ただ、これは苫野先生の言う、問い方のマジックに陥ってしまっているわけで、単純に考えてどちらも大切ということだと思います。
僕のイメージとしては、理念は焚き火の火であり、実践は薪です。
理念の火を灯し続けるために、精選された薪を選び投入し続ける。
理念の灯火が燃え続けていれば、クラスを温め、それがクラスにとっての道しるべともなるのかなと思います。
だからこそ、まずはその元となる薪をどのように選び、加えていくのかも大切になってくると思います。
薪はたくさんもっているに越したことはなくて、状況や目的に応じて適宜投入することも大切。
こんな風に、自分なりの理念と実践の関係についてのイメージをもつことも教師としての成長の一歩となるのかなと感じました。
とりあえずは日々の実践を自分の理念と照らし合わせながら取り組むこと。
そしてその振り返りをすること。
この2つはこれからさらに力を入れて継続していこうと思います。
GWも終わりに近づく中、学び多き一日でした!
いつの時代も
GWは読書をしよう!
と意気込みながら、なんだかんだ予定があって中々一冊読破できず、ちょこちょこ再読したい本を読んでいる状態です。
そんな中で読み終わった本がこちら。
マチルダは小さな大天才 (ロアルド・ダールコレクション 16)
- 作者: ロアルドダール,クェンティンブレイク,Roald Dahl,Quentin Blake,宮下嶺夫
- 出版社/メーカー: 評論社
- 発売日: 2005/10/01
- メディア: 単行本
- 購入: 4人 クリック: 38回
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ブックオフで200円だったので、ずっと読みたかったのもあり、思わず手にとってしまいました。
ロアルト・ダールのユーモアたっぷりな教育に対する風刺が描かれています。
マチルダが5歳にして、既に読破していたチャールズ・ディケンズ。
僕の卒論テーマでした。
ディケンズも当時の教育に対する風刺を作品に盛り込んでいました。
ちなみに僕が卒論でテーマにしたのはこちら。
- 作者: Charles Dickens,Kate Flint
- 出版社/メーカー: Penguin Classics
- 発売日: 2003/05/01
- メディア: ペーパーバック
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画一的な教育と子どもたちの想像性の対立を軸に描かれた作品。
「マチルダは小さな天才」はディケンズの作品をより読みやすく、子ども向けに描かれているなと感じました。
どちらの作品も年代は違えど、教育に対するメッセージはさほど変わらない。
子どもたちにも読んでほしい一冊です。
さて、今日は東京に向かいます。
旅のお供はこちら。
教育書を一旦置いて、移動中は読書を楽しみます。
令和から始めるタスク管理アプリ
いよいよ令和になりましたね。
テレビをほとんどみないので、気づいたら令和になっていたという感じ。笑
令和初日から学校に行き、ちょこっと仕事をしてきました。
わざわざ休日出勤をしなくてもいいかなと思ったのですが、GW前に溜まっていた書類を片付け、来週に向けた準備をしてきました。
GW明けが少しでも楽になるように、未来の自分への投資です。
さて、その学校でやることを最近使い始めたTrelloというアプリで整理してました。
今まで、タスクの管理の仕方は手帳を使ったり、wunderlistを使ったり、Evernoteにまとめてみたりと試行錯誤してきましたが、このTrelloは今まで1番使いやすいです。
GTDもどきのようにタスク管理は行っていますが、このtrelloだと、タスクを付箋のように動かすことができるのがとてもいい。
①タスクを全部書き出す
②それらを「今週すること」「今日すること」「明日すること」「完了」というリストに振り分けていく。
シンプルですが、今まで思うようにできなかったり、めんどくさかったこのタスクの振り分けが簡単かつ見やすくできるのがtrello の強みですね。
これからさらに活用の仕方を探っていこうと思っています。