不登校
不登校と聞くとマイナスなイメージを大学2年生くらいのころまでは思っていました。
それが変わり始めたのがおそらく大学3年生くらいのとき。
学校に行かないという選択もあるのだと知りました。
そして、学校に行けないという現状があるということも。
学校に行かない・行けないの理由にはさまざまな理由があって、明確に理由があるときもあれば、なんだかわからないけど行けないということがある。
いずれにせよ、不登校児童に対して僕が思うのは不謹慎かもしれませんが、すごいということです。
だって学校休むのってすごく勇気がいることだと思うんです。
みんなが当たり前のように学校にいっている中で、学校に行かないという選択はある意味常識から外れることになるでしょう。
僕も仮病を使って1日くらい学校休んだことはありますが、夕方くらいになると不安になってきた覚えがあります。
「授業はどこまで進んだかな」
「自分の悪口とか言われてないかな」
「さぼりだと思われていないかな」
そんなこんなで休んだことを後悔し、次の日には学校にいっていました。
自分が所属している集団が自分がいないところで変わっていくのが怖かったんだと今になって思います。
自分がいなくても何事もなく進んで、変化していくクラスや集団、友達を見ると、自分がいなくても誰も何も困らないだ。
じゃあ自分ってなんなんだという思いがずっと胸の中にありました。
それは一種の承認欲求で必要とされたい、認められたいという思いが自分の中に強くあったんだと思います。
(今でもたまに思います。)
一概には当てはまらないかもしれないけど、不登校の子どもたちが抱えているものには同じような感情があるのかもしれません。
大人になった今はなんとなくその感情を言語化できるようになってきたけど、それを子どものときに言葉にするって難しい。
ただ、それを学校にいかないという行動で伝えているかもしれないということは忘れないでいたいです。
こんなことを考えたのも昨日読んだ本の影響かも・・・
直木賞受賞した本です。
自分の価値観が構築される過程がいかに周りの環境に依存しているか考えさせられます。