学校文化の限界?
とある子の話を聞いて。
学校にある当たり前の文化ってもう限界がきていることをあらためて思う。
無言掃除、無言給食、集会遊び、大きな声で元気よくあいさつがよい、ビシッとしていて統率された学級がよいという価値観。
挙げていけばキリがないけど、それらの学校の中で当たり前とされている文化、風土的なものを改めて
「何のため?」
と問い直していかないといけない。
多様な子どもたちの実態に対応するために、クラスを統率し、みんなで同じことを同じ方法で同じペースで行うことに限界がきている。
そして、強烈な凝集性でまとまったクラスがよいという価値観も問い直さないといけない。
そこに排他性を感じる瞬間はないか。
本当にクラスの一人ひとりにとって教室が居心地のよい場所になっているか。
集団を作り上げることに視点がよりすぎて、「集団の中の個」に対する視点が弱まってないか。
ちょうど今読んでいる本にも、「集団の中の個」に関して書かれていました。
インクルーシブ教育を通常学級で実践するってどういうこと? (インクルーシブ発想の教育シリーズ)
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- 発売日: 2019/01/17
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今の自分の疑念と照らし合わせながら読んでいこうと思います。
自分自身も学校の中の当たり前の文化に流されてしまうときがある。
なぜならそれが周りからの評価を得るのが楽だから。
今まで通りの価値観の中である程度まとまったクラスをつくりあげることができたなら、年齢的にも評価はされる。
でもそれって、子どもたちのためというよりも大人からの信用を得るためにやっている面が大きい。
「何のため?」
この問いを色んな場面で問うていかないと。