世界は欲望の色を帯びている〜欲望相関性の原理〜
さて、昨日の学習会の中で、話題に上がりました欲望相関性の原理。
これを自分自身の整理のためにも、簡単にまとめてみようと思います。
昨日も紹介しましたが、詳しく知りたい方はこちらを御覧ください。
欲望相関性の原理とは一言でいうなれば、
僕らは世界を、僕たちの”欲望”や”関心”に応じて認識している。
はじめての哲学的思考P.97より
ということです。
これはどういうことかというのを説明するのに、苫野先生はよくペットボトルの水を例に話をしていました。
たとえば、今目の前にペットボトルに入った水が目の前にあるとしましょう。
私達が喉が乾いていれば、この水は飲水として認識されるかもしれない。
もし、目の前で火事が起きていれば、この水は火消し用の水として認識されるかもしれない。
あまりに退屈なときは、「おもちゃ」として認識されることだってありうるかもしない。
このように、私達の世界は私達の欲望に相関してー欲望に応じてーその姿を現す。
これを欲望相関性の原理といいます。
(この欲望相関性の原理が導き出されるまでの歴史的、哲学的背景は本をお読みください。)
しかし、そうは言ったものの、この欲望相関性の原理なんの役に立つの?
と思われる方もいるでしょう。
これが大いに役に立つんです。
特に教育界では、この原理を知っているのは大きいと現場に出て感じています。
では、どのようなに役立つのかというと・・
①信念対立の問題
②”生きづらさや””不幸””絶望”などの実存的問題
この2つの問題を解決するのに、大いに力を発揮します。
①信念対立の問題
教育界では日々信念の対立に遭遇することがあります。
「子どもたちを統率することが重要だ!」
「子どもたちの自主性を尊重することが重要だ!」
『学び合い』vs一斉授業など・・・
様々な信念対立の構造が起きやすいです。
この「信念」について本の中では、このように書かれています。
僕たちの信念は、実は何らかの欲望や関心によって編み上げられたものなのだ。P.104
つまり、それらの信念を主張する方々には、それぞれその信念=欲望を形成されたバックグラウンドがあるということ。
そのことを理解し、お互いの欲望や関心が本当に妥当かどうか検証しあい、”共通関心”を育むことが信念対立を抜け出すために必要であるということです。
これはつまり、「自由の相互承認の感度」を育むことにつながります。
僕もこの原理を知っていたからこそ、対立が起きそうな場面でお互いの欲望・関心は何なのかを考え、職員同士で対話を進めることができ、理解をしてもらえたこともあります。
この原理を知っていなかったら、「あいつは間違っている。自分はこんなに努力しているのに・・・」という所謂、徳の騎士状態になってしまうところでした。
②”生きづらさや””不幸””絶望”などの実存的問題
について書こうと思いましたが、長くなってしまったので、こちらはまた明日にしようと思います。