学びの車窓から

小学校教員です。日々の実践、考えたことをつらつらと。

自己主導の学び④

 

昨日はジコマナの4時間目。

早々と予定の課題を終えてしまった子もちらほら出てきて、説明に徹する子が出てきました。

 

余計なおしゃべりも減ってきて、ワイワイガヤガヤの居酒屋モードから、一瞬しーんとした空気が流れて思わずみんな笑ってしまうようなしっとりとした空気が流れる場面もありました。

 

しかし、気になることもありました。

 

そこは最後に子どもたちと共有。

 

 

最近ジコマナを進めていて、ずーと自分の中でもやもやとしていた、『学び合い』の基本理念でもある

「一人も見捨てない」

に折り合いをつけられてきたような気がします。

 

僕自身はこの言葉をずっと語れずにいました。

語るときは、子どもたちの学ぶ中で孤立している子がいたときに、伝家の宝刀であり、殺し文句のような感じで語ってしまっていたというのが正直なところです。

 

 

自分が目指しているのは「一人も見捨てない集団なのだろうか」という問いが『学び合い』を始めてずっと自分の中に点在していました。

 

 

『学び合い』からジコマナへと少しずつ実践を試行錯誤してきて、自分の中で確信に変わったのは、

幸せな子ども時代であってほしいという自分の願い。

そのために、

「一人ひとりにとって居心地のよい教室であってほしいということ。」

です。

 

そのためには、

教室に入ったら友達が挨拶をしてくれる。

ものが落ちたら、気づいてひろってくれる。

教えてと言ったら必ず誰か教えてくれる人がいる。

 

そんな当たり前のようなことを普通にできる関わりが基盤にあるんだなと思います。

その関わりの場面をどのようにデザインしていくのかが、自分の仕事なんじゃないかなと。

 

 

先日の『学び合いビギナーズセミナー』で川西先生の話を聞いていて、1つどうしても気になったことがありました。

それは、川西先生が「一人も見捨てない」という言葉を使わなかったことです。

 

最後にそのことを聞くと、

「一人も見捨てないは、教師の中でもっていればいいと思うから。」という非常にシンプルな答えでした。

 

 

この言葉に自分は「あ〜なるほど。」と最終的に腑に落ちました。

 

 

「一人も見捨てない」という気持ちをもち、一人ひとりにとって居心地のよい教室をデザインすること。

これが今の自分のテーマです。